6月13日の第四回炊き出しについてご報告します。レポートの内容は、現地へ行ったメンバーから聞いた話を元に作成しました。
避難所から仮設住宅への引っ越しが始まっていました。
避難住民は、避難所を出た時点で「自立」とされ、食糧や支援物資等の一切の支援を断たれます。
現場にいった仲間が、仮設住宅の人からこんな話を伺いました。

「これからは、今までとは違います。御飯も何もかも自分たちでやって下さい」と、鍵を渡された。
鍵を渡される日は分かっていた。しかし、お金も無い、仕事も無い、生活能力も無いのに…どうやって生きていけというのだろう。

朝ご飯も食べられない。何とか話をつけて、その日は子供だけは食べさせてもらえた。

「これからどうしよう…」
知り合いに電話しようとして、国から支給されている電話を借りに避難所の体育館へ行くと、「もう仮設住宅に入ったんだから、電話を使わないでくれ!」と言われた。

避難所の体育館に居ればプライベートな空間は無くても、食事や物資には事欠きませんが、仮設住宅に入居するときは、最低限の生活道具しか与えられないので、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯ジャー、洗濯機等の家電だけ。
洗剤、歯ブラシ、食器、箸、カーペット、洋服など、生活に必要な雑貨は何ひとつ無く、彼らが全部イチから買い揃えていかねばなりません。
あるひとは、布団が足りず、避難所へ貰いに行くと、ぼろぼろの汚い、処分寸前の布団をやっと貰えたそうです。
それなのに、避難所では大量の物資、食糧が山積みになって余っている。

家のあるなしでこうも違う待遇。
今まで同じ空間で助け合って生活してきた人達の間に確執が生まれた。生活するのも、炊き出しのごはんを食べるときも、見えない壁がある。
大人社会がそうなっていくのを、子供は傍で見ている。食の「飢え」に関しては、避難所にいた時より悪化した。

だけど、悪い事ばかりでは無い。
地道な努力によって本当に少しずつだけれど瓦礫の撤去も進んでいます。漁の出来ない港で、男たちは朝から晩まで作業をしているのです。

彼らは何より子供たちの笑顔に救われるという。
小泉中学校に隣接する小泉小学校からは吹奏楽の音色が聞こえてきて、中学生たちも小学校の方を見て微笑んでいたそうです。

そして皆さんのご協力で作った肉野菜饂飩といなり寿司は、とても喜んで頂けました。被災者の昼食の食数150食分を用意させて頂きました。
いなり 300個
饂飩  160食

いなり寿司は即なくなりました。饂飩は120食でした。
残った饂飩とつゆは夜の食事に回すの事でした。

時間の経過と共に、国全体の支援のテンションが下がっているように思いますが、「忘れない」事は被災しなかった私たちの義務だと思います。
犠牲になった人の分まで真剣に生きたいし、彼らの分まで生き残った人に出来る事をしたいなあと思う。ほんとに。

啓蒙とか道徳するつもりはありませんが、一人では大きな事をできなくても、力を合わせれば事態を良くする事が出来る。これからも被災地の人達と一緒に地道に頑張っていきましょう。
これからもご協力どうぞ宜しくお願い致します。
jisin

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