困ったな。どう書いたらいいかわからない。現場で見た事実から、遠くにいる我々一人一人に今何が出来るのかを想像する材料になるように書きたい。一人じゃわからないから一緒に考えて欲しい。
見たものは箇条書き。感じたことは私のフィルターを通して書かせてもらいます。

津波の跡は、道の途中からいきなり始まった。
のどかな春の田舎の風景を通ってきた。そこらじゅうに満開の山桜、一面のタンポポ、アブラナ、穏やかな春の世界。その世界が、道の一歩先から一変。生き物が消える。日常が消える。
色が消える。音が消える。生と死の境界。

ここはなに?
jisin

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そこはポカポカした陽気で、空を邪魔するものがひとつも残ってないから、どこまでも青く広がる。すぐ向こうに海が見える。綺麗で穏やかな海だ。あの海が、テレビでみた津波の海?あれが、ここまでくるわけがないのに。
泊浜にも行った。壊滅。誰かのふるさとに、壊滅なんて言葉が、よく使えるよねって自分に言いたくなるけど。
バス停には駅前の二文字。でも駅なんて何処にもない。

何も存在していない不気味。
重過ぎる空気。
私には眠っているようには見えない。
荒野は目を開けてる。沈黙して何かを待ってるように見える。
jisin

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町のあったところにカモメが飛んでいた。
町のあったところに小さな鹿がいた。
巣をなくしたツバメは避難所で唯一無事だった巣の周りを何匹も彷徨いながら飛び回る。カラスは食糧を狙っている。
食べるものがないのは人間だけじゃない。家族を失ったのは人間だけじゃない。生き物という生き物が途方に暮れているのだ。

小高い山の上に今回の受け入れ先である避難所の小泉中学校は建っていた。ここだけ無事だった。
校庭には仮設住宅が建っていた。体育は出来ない。

わざわざ遠くからありがとうございますと感謝された。炊き出しには、うどんと、お稲荷さんと、茹で卵を。
お年寄りやおばさんたちが何人か出てきて炊き出しを手伝ってくれた。
出てきてくれた人達は少なからず元気そうに見えた。
我先にではなく、みんなに分けてとか、本部にも持って行ってとか、声をかけあって居た。二ヶ月経って、飢えの不安は解消されたのかな、よかった。

彼らは仕事が欲しい。暇は悲しみを思い出させるから。テレビでみた避難所のひとは、みんなで居て、話したり、仕事をしているときだけは忘れられると言っていた。
前向きに、元気でいないとなんにも始まらないからと言ってた。
前へ進むため。子供もお年寄りも、耐えている。

体育館はたくさんの人がいた。
いま避難所に居る人は、仮設住宅に入れず、家族や親戚の家にも行けず、疎開もせず、何処へも行く事が出来ない。
私は入れなかった。
窓は締め切られて居て、恐らくしきっぱなしであろう布団と、寝たきりのお年寄りたち。空気はこもり、湿気が多かった。流し場にはゴキブリもいた。
冬は、寒かっただろうな。
これからは、ものすごい暑いだろうな。
そしたら、また冬が来てしまうのかな。

校舎では授業がやってた。教室から、あの荒れ果てた街がよく見えるだろう。

可愛い三年生くらいの女の子がおばさんの手に引かれて歩いてきた。キラキラした目で微笑を浮かべているが、私や一緒のおばさんが話し掛けても、微笑んでいるだけで一言も声を出さない。学校に行けないのかな。喋れないのかな。小学校は残ってるのかな。

体育館から役所の人が出てきて、持ってきてもらった物資を確認させてもらって、必要ないものはあそこに置いておきましたので持って帰ってもらえますかと言われた。
食糧以外ほとんど、どっさり返された。
近くに居た人達に、ここにある物資、持ち帰っても意味がないから好きなの持って行ってくださいと言うと、瞬く間に人だかりができて、すぐになくなった。

もうないの?
エプロンはないかしら?
夏物の服はないかしら。
蚊取り線香は?
うちの子が着れるものないかしら。

キャンドルも一瞬でなくなった。正直、あそこまで需要があると思わなくてビックリした。燃料って、生活であり、命なんだな、だからライフラインていうのか。
ディテールを眺める余裕なんかないみたいだったけど、感謝された。灯りを灯したときに、ゆっくり眺めて欲しい。作ってよかったよ。

しかしなんだよ。
物資は、余ってるんじゃないよ。配ってないだけだ。
ゆき届いてない。行政が機能してない。遅い。
手渡しじゃなきゃ被災者に届かないかもしれない。
いろんな避難所で物資が配りきれず、余らせて廃棄していると聞く。最悪だ。間に合ってるんじゃなくて、配ってないだけだ。
私たちはまた来月の第二月曜日に来ますから、取りに来てくださいと伝えた。
需要は日単位で変化する。ほんとなら、そのとき必要とされるものをそのとき届けられたらいいけど、避難所で使えるもの、仮設住宅で使えるもの、とにかく先を読みながら想像しよう。
お年寄りが多いことも忘れないで。

あの世界で、日常を取り戻そうと必死に生きているだけで、
もう死ぬほど頑張ってるよ。
あり得ないよ。

あの人達にかける言葉なんてないよ。祈ってるだけなんて私は絶対嫌だ。

今回初めて被災者と接した。私の祖父母は宮城県出身で、みんなと同じ方言で話す。
ここに家族がいたら?友達がいたら?
耐えられない。

泣いてる場合じゃないね。
ここにいる人達を放っておけない。
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