これは実際に行ったリーダーの「りょーち」のレポートです。

朝5時に出発 現地には1時に到着した。
高台に位置した大きい寺が避難所とされている。地元では有名な寺院らしい。
そこには30人程度の人達が薪ストーブを囲んでいた
昼は仕事や片付けの為そこを出でいる人が多かった

jisin
家を失った人は寝泊まりに寺へ 家がある人達も夜になると配給される食料を求め200人が寺へ登ってくる
水 電気 ガスが止まっているのだから当たり前だ
家も仕事も失った人はずっと寺にいるしかないようだ

代表の方に挨拶をするとどこから来たか聞かれた
私が問いに答えると彼は訛りのある冷たい声で言った
「いいよね 千葉はなんともないんだから」

物資を降ろし炊き出しの準備を始めた あっという間に物資は彼らにより寺の本堂の中へと運び込まれていた
夜来る人達より先に物資を確保したいらしい

ペットボトルの水を飲んでいた女の子に母親が言った
「早くマジックで名前書きなさい また盗られるよ」

いろんな言葉を聞いた

「もっと早く来てくれよ!」とぼやかれ私は謝るしかなかった

「よそ者はそっちの小さい鍋でいい」
よそ者とは自宅避難民のことだ。 家を失った人達は家が無事だった人達の事をそう呼ぶ 炊き出しは人数分ちゃんとあるのに家が無事な人達には譲りたくないと言うのだ

寺の僧侶は私達を見ても近寄ってこようともしなかった
「あら汁出来ましたよ」と呼びに行っても 奥の部屋にいる人達に声をかけず一人外へ出ていて食事を受け取った
「みんなで食べよう」なんてセリフはなかった
みんながみんな食料の分け前が減る事を恐れ給水車を求めやってくる人達をこっちへ来るなと拒否した

jisin
物資の中にあった週刊誌を見た女の子が「私の読みたいのない」ゴミを投げるかのように袋を離した

「もうカップラーメンなんかヤダ」
「冷たい菓子パンもおにぎりももうヤダ」一ヶ月ずっとそればかりらしい当たり前の感情だ

「もっと野菜持ってきてよ」
「おかずが欲しい 調味料が欲しい」

「いつ帰るんだ?」早く帰ってほしいみたいだ
 私たちは炊き出しが終わるとすぐに帰った。いや、帰らされた。
 彼らの言う 「よそもの」がくる前に食料を隠してしまおうとしているのだ

避難所から3キロ離れるとコンビニが開いていた
食料も野菜も少しだが売っていた
銀行からお金が降ろせない状態にある彼らには無縁の世界になっていたのだ
ラーメン屋もパチンコ店までもやっている

たったそれだけの距離。
被災しなかった人達は自分と家族の生活を守る事に必死で手をさしのべてはくれないみたいだ

ありがとうの言葉が欲しくて動いた訳じゃない
ただ 少しでも笑顔になってくれたら、、、なんて、、、考えの甘い自分を恥じた

日本は秩序が保たれている? みんなが前向き?
嘘ばっかだ!
食料の配布後に女性や子供から暴力でそれを奪う人も多い
「みんなが不幸になればいいんだ!! なんで俺ばっかり!」
「一人じゃないなんて ふざけるな 来たってお前達帰る所あって帰るんだろ!家あるんだろ?家族いるんだろ?俺には誰もいない!!」
「がんばれってなんだよ!家族も家も仕事もなくてどうやってがんばるんだよ」
「歌なんかいらねーよ 金くれよ 家くれよ」


jisin
避難所の映像なんかもっと嘘だ
「みんなで協力して頑張ります 支援ありがとう!!」
笑顔で話す少年を映すテレビカメラの後ろには彼のセリフと同じ文字が書かれたカンペが用意されていた
カンペを読んだ人のみに袖の下を渡しているのだ

報道がどれだけ嘘か思い知った

土砂の下に埋もれたままの人達が今もたくさんいるその上にズカズカ乗り「被災地なう」なんてピースしながら写メ撮ってる奴らがたくさんいる

福島県民が差別され転入さえできない子供達。福島産の花を市場が受け入れ拒否。
そんな福島差別を煽り英雄ロッカー気取りの斉藤和義

私達に被災者の気持ちは計りきれない
でも 被災者の気持ちになって考えるとこはできるのではないだろうか

現実を見よう 私はこれからも見た現実をみんなに伝えよう

私の行動に対し批判する人もいた。
「そうゆう写真見たくないから」って迷惑な顔する奴もいた
でも私はやめない
そんな馬鹿ほんの一部だけ

たくさんの人が私の考えに賛同してくれて 協力してくれて 私は本当に仲間に恵まれている幸せ者だ
だから被災地に幸せを分けられると思っている

協力してくれるみんな 本当にありがとう
私を信じて託してくれてありがとう

これからも継続しなくちゃいけない
彼らの悲しみ 絶望感 怒り 妬み の感情の中に喜びという感情が加わる日がくるまで

私達が現実から目を背けちゃいけないんだ
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