昨日、皆を代表して、友達と茨城県北茨木市と福島県いわき市へ物資を届けてきました。

jisin
たった3日間の協力呼びかけだったにも関わらず、2tトラック一台分の物資が集まりました。
(※写真に移ってる段ボールが全部ムーニーなのは西松屋で段ボールをもらったからだよ)

被災地の市役所の人には心から感謝されました。あまりにも丁重なご対応で恐縮するほど・・・
本当にきて良かったと思いました。

茨城に入った途端に地割れで道が悪くなり、「ちんさむロード」のもっと笑えない版というか、ガタガタの道がずっと続くといった状態でした。
屋根の上にブルーシートがかぶさった民家の率が高くなっていき、北茨城市に入ると、木造の家はほぼ倒壊。かろうじて建っている家も斜めっており、窓ガラス、外壁が崩れ落ちていて中が丸見えの家が多かった。

けいしろうから、「町を境に天国と地獄らしい」と聞いていたのですが、まさにその通りで、海の浮きや流木が至るところに落ちていて、木はなぎ倒され、ガードレールやフェンスは歪み、所々でお葬式が。そこらじゅうにがれきの山。
湊にはガタガタの船。学校も閉鎖。ガソリンスタンドもお店も殆どやってない。(1軒開いてたガソリンスタンドには長蛇の車)
歩いている人なんてほぼいない。町は町に非ず。活気がないどころか、日常じゃない。
倒壊した家の前で、持ち主であろう杖をついたおじいさんがただ立っていました。

北茨城からすぐ北の福島県いわき市に入ると、津波による被害は少なかったものの、道路の電子掲示板には「原発20`、30`圏内は立ち入り禁止」の警告。
目に見えない原発の恐怖。初めて味わう恐怖。
それでも建物には「がんばろう いわき」の誰かが書いた文字。
jisin

北へ進めば進むほど、漂う空気が変わっていくのがわかった。
誰もいない。なにもない。
きっとその先は地獄。
そして、何万にもの人たちが助けを待っているのだ。

昨日まで、あれを見るまで、被害者ぶってた自分ってなんだったんだろう。
身の回りで人ひとり死んだわけでもないのに。たかが交通・電気の不便、情報だけで、何を被害者気分に浸っていたのだろう。
twitterも、webニュースも、批判だらけ。批判なんて誰でもできるんだよ。
現地の人たちの精神的・肉体的な負担を思うと想像を絶します。
帰る家もなく、大切な人をなくし、何をどう頑張れるんだろう。もし、自分だったら?

いわき市の市役所のひとに、真剣な顔で言われた言葉。
「お願いします。もし次があるなら、もっと北の、もっと酷いところへ物資を届けてください」
とのこと。

jisin
協力してくれた皆へ。
本当は一人一人会ってお礼とご報告ができればいいのですが、この場を借りて。
協力してくれて、私たちを信頼してくれて、本当にどうもありがとうございました。
一人ひとりの力がまさかこんなに大きなものになるなんて思わず、心底人の力に感動させられました。

今回のこの協力の輪と、被災者の人たちの感謝に後押しされ、そしてここまで来たのだから事実を見届けたいという想いもあって、来月は宮城に行くことを決めました。
みんなには、引き続き協力をお願いしたいのですが、出来れば、今回のことを周りに知らせてほしい。そして協力を呼び掛けてほしい。10円でもいいんだから。長期的、継続的な支援が重要だから。
誰がやるかなんて、体裁なんて、方法なんて、被災した人たちにとってはどうでもよいことです。
私たちが何者であるかなんて、動機も方法も関係ない。行動だけ。
どんな小さなことでもいいのだから是非アクションを継続してください。

そして自分にはなにも出来ないと悲しみに暮れている人。私の周りにも何人かいて。
自分を責める必要なんて無い。当たり前の生活を送っているだけで頑張っているんだよ。

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